ワークショップのパッケージ化で失われるもの

教育系のワークショップをお仕事として依頼される時、よく求められるのは教育を「商品」としてパッケージ化するということ。
これが、ちょっと厄介なんです。
お決まりのパッケージ化された定型ワークショップというのはたくさんあります。けれどもワークショップは基本的に生物で、参加する人も違えば、環境も違えば、ワークショップに求める思惑も違うわけです。何が起こるかわからない、何が生まれてくるかわからないからこそワークショップなはずなので、主催側はハラハラするでしょうが、その場で起こっていることに神経を注いで、進めていく。ワークショップという場をつくるのは、最終的には参加している人たちだからです。

私が企画に関わる、un labo.やビットデザインスタジオのワークショップでは、定型ワークショップをそのままやることはまずなく、その時々にあわせてオーダーメイド的に企画をつくっていき、当日も参加者の様子を見ながらプログラムを改変していくことになります。
これって、ワークショップや教育観の異なるクライアントの場合、とても不安になるようで。時にはとても怒られます。笑
そもそも教育をパッケージ化することに無理があって、どうしても、やる側都合でプログラムを固めてしまうことになる。この時にとても残念なのは、どんな状況でも、どんな人でもできるようにつくるからですが、学び手を舐めた過保護なものになってしまうこと。90%レールを敷いた上を歩かせて、オプションで想定内の範囲なら自由を許します。みたいなやつです。
何が出てくるか、あるいは出てこないかもしれないようなものを
「デザインしました」「教育しました」
というのはとてもリスキーで勇気がいることです。
ワークショップも予定調和的にちゃんちゃんと進行できるようにつくっておけば、ライブショーのように安心して見ていられるからですね。
でもね、きっとそういう過保護なキットで企画ごっこしてるうちは、できたような気になっているだけで、無から何かを生み出していく画力や創造性って育っていないと思うのです。
教育の中でそれをやらずに、いきなり失敗が許されない社会でそういうレシピのない局面に立たされたら、どうなんでしょう。
実際の社会には明確な目的なんてないし、どんな状況でも通用する定型の方法なんてないことの方が圧倒的に多い。混沌とした状況から、そこに問いをたてて、自分たちで積み上げながら構築していかなければならないわけです。
渡る世間は鬼ばかり。常に結果を求められ、評価を下される怖〜い社会です。
そこで、改めてワークショップや、教育という現場の役目を考えてみると、今もっとも大切なのは、安心して失敗できる環境をつくってあげることなんじゃないかと。混沌としたものから、自分たちのやってみたいという力で立ち上がってくるものを、焦らず待ってあげること。
ここ数年、開発系のワークショップをやらせてもらう時には、まずフラットな関係の中で外から持ってきたデータやエビデンスではなくチーム間で自分自身の経験知や考えやを吐き出せる環境をつくることを丁寧にやっています。一見遠回りに思えるのですが、結果的にはこの方がアイデアの飛躍も大きく、生産性の高いチームをつくることにつながっていくのを目の当たりにしてきました。
最初にゴールなんてあるわけもなく、ワークショップが終わった後に、どうその場の経験を後づけしていくかの方がずっと重要で。人生もそんなもんですよね。笑
ワークショップといっても本当にさまざまで、いろんな持ち味があっていいんです。ただし、私たちは、チーム間でアイデア積み上がっていく経験を最重要と考えているので、これを阻害するのであれば、競争や評価といった人参をぶら下げることもあまりやりたくないと思っています。ファシリテーションも上から圧倒してまとめ上げるというスタイルではなく、議論の行方を客観視しつつも、あくまで参加者と同じ目線で、必死にアイデアを出して積み上げていくことのお手本を示すようにしています。こういうファシリテーションのスタイルもちょっとびっくりされます。(それはファシリテーションじゃないと言われるのであれば、名前を変えます。笑)
話がのってきたら、その時間を延長するし、予定していたプログラムをやめたりもします。だってワークショップの目的はワークショップの進行が恙無く進むことではないからです。こういうのを見ると、とても無計画に見えるのか、とっても不安に思う人もいらっしゃるようですが、準備していないわけではなく、プログラムを自分たちで実際にシミュレーションしてみて、できそうかどうか、どこでつまづきそうか、など本当に余念なく練っているのですよ。
もう一度言いますが、安心して失敗できる場づくりによって、チームの生産性、個人の自己肯定感はあがります。だからどうか、教育現場はもう少しやさしい場になってほしいと願います。
釣れるという確証がないと釣りにいけない人ではなく、いいお天気だから釣りにでも出かけようという人を育てたいし、そう社会になればいいのになと思います。









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