「言語化」の盲点

先週末のUX Workshop labo.による久々に大がかりな対面&オンラインのアクティングワークショップ。集まる人数を減らすため、3拠点で開催し、ところどころオンラインで結ぶという初の試み。

今回やってみて、オンラインワークショップとの良し悪しや対面でやることの意味が以前にもましてクリアになった気がしたので、ホワホワのうちにメモしておきたいと思います。


「途中参加お断り」


今回、うまくいったこと、うまくいかなかったこといろいろありましたが、
まず、これまでの失敗から学んでうまくいったな!と思ったのは、
アクティングアウトワークショップに傍観者をつくらないために、事前に途中参加をお断りしたこと。

最初から参加するか、できない場合は最後の共有だけ参加して客観的な意見をもらうか。どちらか。

アクティングアウトは、最初から空気を温めながら進行するので、
途中から入れるかというと、それはかなりハードルが高い。
途中から入るのも嫌ですし、入られる方も、一人でも覚めた目で傍観する人がいると
せっかくの空気がさめてしまうのは困ります。。
みんな同じ船にのって漕いでもらわないと、もろとも沈んでしまうのです。


で、案の定というか、事前に途中参加をお断りして最後の共有だけきていただいた方から、
これまでのアクティングアウトをシェアした後、唐突に、

「ユーザーのインサイトは何だったのですが?」

「それらの言語化はしていないのですか?」

と、

これまでの和気あいあいした空気感が一転。

一瞬何を問われているのか分からず面食らっていると、
参加したメンバーの一人が
「今回は調査結果ではなく自分の実感を最初に話すことからスタートしたので、
とにかく実感を感じらるかどうかが重要だったんです」と熱く答えてくれました。
(体験すると腹落ちしてるのわかって、めっちゃうれしかった)

ワークショップ終わってから、じわじわと、その唐突に投げられた質問の違和感が気になり、
何だったのかなと考えてみました。


「インサイトの言語化」


この言葉が私の中でモヤモヤと。


まず、そもそもアクティングアウトワークショップの一番の命題が、「言語化」ができない部分(感覚的な価値)を
どうプロジェクトチーム内共有して、どう視覚化していくか。ということにある。


調査や資料の収集ももちろん必要です。ですが自分の感覚を抜きに並べられた「インサイト」だけでは、
どこかでみたことのあるような、優等生な企画はたてることができるかもしれませんが、
誰も体験してころないような、体験価値の創出はまずムリだと思います。

UXworkshop labo.のメンバーで行うアクティングアウトワークショップが一番大事にしていることは、


自分の感覚=実感
をともなった開発。なのです。


常に、自分の感覚で、身体的にキャッチしている「言語化」されない部分を起点にします。
もちろん、市場調査や資料も参考にしますが。
そこから、出てきたいくつかのアイデアを、「ほいじゃ、一回やってみますか〜」と動く。


考えすぎず、考えなさすぎず。


この、「ほなやってみましょっか」ってタイミングがファシリのポイントでもあります。

現場に近い場所に行ってみたり、想定されるシーンをバラックでつくりつつ、身体を使って演じてみます。
身体で感じた「これはないなー」とか「これは思ったよりいけそう!」とか、素直に感想を言いながらシーンをつくりかえていく。言葉にならない感覚を口にだしていくのがポイントです。「バーっといって、ふわっとして、キラリーン★」みたいな。😁 


関西メソッドですね。😁 

横を通る人からは、随分と白い目で見られます。
この一見すると、子どものごっこ遊びのような、バカバカしくもみえることが、

実は、ラピットプロトタイピングのさらに高速版で、小さく検証をくりかえしています。
この時間をバカバカしいと斜にかまえることなく、没頭するうちに、

メンバー間に、確かな「これいい!」という共有のGoodな感覚が生まれてきます。

そして、なんだか「愛」も生まれてくるような。😁

そうか、この世にないものを生み出すために必要なのは、「愛」ですね。

ここまでくれば、いくつかの育てるべき可愛い赤ちゃんアイデアが出てきます。
つまり、そこからはじめて、アイデアを育む(可視化や言語化が収束と深化)に向かうことができるのです。

このコロナ渦でオンラインワークショップを何度かやりました。
アイデア出しをしたり資料を集めてきたりは、宿題を通して随分と効率よく展開することはできました。
けれども、やればやるほど、拡散し、資料のページ数が膨大になっていく。
オンラインでの共有の時間を何度もチャレンジしてみたものの、
なかなかその場でみんなの「これいい!」「こっちの方向だね!」といった、
「共有感覚」をつくることはとても難しい。

ワークショップはずっと発散だと思っていたところがありましたが、実は対面でワークショップをやる大きな意味は、収束だったのだと。
発見です。



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