問いを問う

禅問答かっ。笑

来週、京都大学のサマーデザインスクールで塩瀬先生と安斎氏が行っているプログラム「問いで教科書を捨てる」に、「深い問いの実践者」?としてゲスト参加します。
「深い問いの実践者ってどーゆーこと???」なんとも気になるお題をいただきました。
全くもってよい問いをなげかけられたので、un labo.のメンバーとこの問いについて少し話してみました。

http://www.design.kyoto-u.ac.jp/sds2015/theme28.html

よくデザインとアートを比較して、デザインは問いを解決すること、アートは問いを出すことだと言われます。便宜上どちらよりなのかということで分けているのだと思うのですが、どーもいつもこの分類にひっかかるのです。

何にひっかかるのかというと、デザインはあたかもそこにある「問い」をどう解決するかというところからスタートするように聞こえるからです。まるで、ドアノブがつぶれている(問題)から修理する(解決)人のように捉えられなくもない。(ドアノブ修理してくれる人を心から尊敬しますが…)

実際のデザインのお仕事では、どこに「問い」があるのか分からないことの方が圧倒的に多いのに。デザインはまず「問い」の発掘作業からスタートすると言ってもいいと思います。何が問題なのか、その所在をデータからではなく、自分の嗅覚を研ぎすませて探ること、もうこれがデザインお仕事の根幹と言ってもいい。


問いは、常に「状況」の中にある。どういう状況で、だれがその質問をどういう意図でするのか、によってそれに対して考えるスイッチが入るかどうかが決まります。
デザインで最初にクライアントから依頼を受けた時、まず行うのがヒアリングですが、この時に「問い」の発掘作業がはじまります。決してクライアントの多くが「よい問い」を出してくれるかというと、そうではありません。むしろデザイナーの仕事として、クライントに対して「よい問い」を出すことで、問題の所在を探っていくというプロセスをふみます。

では、そのよい問いとは何だ???と考えてみました。
自分の経験から言うと、マニュアルや決まりや法則があって質問をしているのではなく、ごくごく直感に従って「気になる」部分を聞いていく。ただそれだけです。

「気になる」というところに必ず「問い」の欠片が落ちているのかもしれません。
この商品が「気になる」とか、ぽっこりお腹が「気になる」とか、あのキレイな店員さんが「気になる」とか、夫の妙な行動が「気になる」とか(笑)いずれにしても、どこかに自分にとって何かを解決すべき「問い」が潜んでいるのです。

なんだ、じゃあ、よい問いを出すって簡単じゃん。って思うかもしれませんが、最近un labo.で行うワークショップなどを見ても、案外この「気になる」という自分の感覚を素直に吐き出すことが難しいのだと気づいたのです。
デザイナーという職業柄、最終的になんらかの形に落としていかなければならないため、なんとか「気になる」部分を吐き出しながら、そこの欠片から探っていくというのは、案外自然とやっていること。なのでそれが難しいという意識がなくなっていたのですが。
確かに、「問い」の所在(問題の根っこ)をつかんで、何か形として表現する(問題解決する)ということをさしてする必要がなければ、わざわざ「気になる」必要もないし、気になっていたとしても、それを顕在化させていやな気持ちになる必要もないのかもしれません。まさに気にもとめないというやつでことはすんでしまうのです。

さて「よい問い」とは何かという「問い」に戻りますが、何が言いたいのかというと、「よい問い」を出す人は、問いの受けて側にまわった時にも「よい問い」に問い直すことができる人なのではないかということです。

生きていく上で、「気にならない」「気にとめない」「気にしない」ということも大事です。でも「気になっている」ことに気づかなくて、放置というのはよろしくない。「気になる」というのは、その対象に「興味がある」ということの現れですから、その意思表示を表に現すこと、それが「よい問い」になるのではないかと思うわけです。
「問い」がうまく現せれば、解決に向かうだけ。いろいろスッキリするんじゃないかと思うのですが。。

注意!これもいきすぎると家族から「ウザイ」と言われます。笑



ちなみに花奈さんのイラストでおなじみ、un labo.のイメージキャラの名前は
「問い」と「Toy」でトイフルくん




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