デザインの躾

子どもの夏休みの宿題をみているといつも私の頭に浮かぶ言葉は「デザインの躾」だ。デザイン教育は教育するものではなく、躾けるものだと常々思う。

そんな偉そうなことを言う私自身も、学生の頃は、レポートなんぞとにかく出せばいいぐらいにしか考えてこなかった。けれど、それがどれだけの時間を無駄にし、どれだけ大切な機会を失ってきたかと今は思う。

レポートは、出してこの場をやり過ごすことが目的になっていた。信じられないことだけど、それを読む相手がいるのだということは全くと言っていいほど頭になかった。子どもたちの宿題を見ていても、それがみてとれる。小学校の低学年だと先生が「頑張ったね」とか書いてくれるにも関わらずだ。大学にもなると、そんな先生の返事の言葉もないのだから、なかなか相手のことは考えにくいかもしれないが。

私はいつも、そのいい加減に仕上げた宿題を見て、説教をはじめる。

宿題のできはどうであれ、それを先生が見るのだということ、そして、そのアウトプットされたもので、あなた自身を評価するのだということをくどくどと言う。

くどくど言わなくても、そう子どもが感じるようなデザインが必要かも。


とにかく、相手に分かりやすく、魅力的に伝えることがデザイン。これは人として最低限の礼儀。

デザインは、単にきれいなものをつくるという装飾的なイメージで考えられがちだけれど、それは如何に魅力的にみせるかという部分だけであって、いかにきちんと伝えるかの部分が抜け落ちている。

デザインは、デザイナーだけのものではなく、どんな職業の人にも必要であり強力な素養。だからこそ、大人になってもデザインする努力(人に分かりやすく伝えよう)を最初からしない人は、不躾、行儀がわるい!と言いたい。

だから、行儀の悪いデザインをしていたら、その度、子どもには説教するのだ。



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