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動きながら考える派?考えてから動く派?

「ね、まず一回やってみよ〜」って私の口癖みたいなんです。笑 「考えてから動く」ではなく「いきなり動きながら考える」派ってやつです。 これを言うと、そだねーってすぐやってみる派は少数で、「えっどう動くんですか?」って戸惑われることが通常。そんな時にも「いや、だからちょっとほらこんな感じで立って動いてみて」って身振り手振りでやってみせて頑張ります。 ここで、だまされたと思って身体を動かしてもらえると、大抵「あれ、なんか、あれ、これいいかも」ってなるんですよ。いや本当に。やってみることがどれほどアイデアを生み出していく上でパワフルで楽しいかを経験すると、もうやみつきになります。だって、想定するような計画なんてないわけですから、そこには「失敗」なんてなく、「発見」しかないからです。
でも、どういうわけか、「いきなりやってみる」ということに対して強い拒絶反応を示す人たちがいるんです。それが以下の3タイプ。どうしたものか。。
1)動かなくても頭で先にプランを考えた方が効率がいいと頑なに動かない人 2)動いたって意味ないってバカにしつつ人の目を気にして動くふりをする人 3)動きたいけど、いきなり動くのは恥ずかしいと思って動けないでいる人
こんな方たちは、偶然に出会うチャンスをものすごく逃していると思うのですが、1)2)の人に関しては、もうどこまでいっても頑なだったりするので、ご本人の好きなようにしてもらったらよいのですが、 社会問題だなって思うのは、3)のような人(動きたいけど恥ずかしいと思って動けない人)が、1)2)の人たちにプレッシャーをかけられて動けなくさせられること。 これをどうにかしたい!って思うのです。なぜなら、かつて私も3)タイプだったから。
先日、「だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学」石川幹人著 光文社新書という本を読みました。おもしろかったのは、強いものが生き残るのではなく、「負けるが勝ち」と、だまされてみることができる者が生き残っている、みたいな話。要するに、頑なになって無駄に戦うよりも、とにかくだまされたと思って「やってみる」ができるものこそ進化につながるってことなんだと安直に解釈しました。
だから「ね、まず一回やってみよ〜」と言いたい。

ワークショップのパッケージ化で失われるもの

教育系のワークショップをお仕事として依頼される時、よく求められるのは教育を「商品」としてパッケージ化するということ。 これが、ちょっと厄介なんです。 お決まりのパッケージ化された定型ワークショップというのはたくさんあります。けれどもワークショップは基本的に生物で、参加する人も違えば、環境も違えば、ワークショップに求める思惑も違うわけです。何が起こるかわからない、何が生まれてくるかわからないからこそワークショップなはずなので、主催側はハラハラするでしょうが、その場で起こっていることに神経を注いで、進めていく。ワークショップという場をつくるのは、最終的には参加している人たちだからです。

私が企画に関わる、un labo.やビットデザインスタジオのワークショップでは、定型ワークショップをそのままやることはまずなく、その時々にあわせてオーダーメイド的に企画をつくっていき、当日も参加者の様子を見ながらプログラムを改変していくことになります。
これって、ワークショップ観や教育観の異なるクライアントの場合、とても不安になるようで。時にはとても怒られます。笑
そもそも教育をパッケージ化することに無理があって、どうしても、やる側都合でプログラムを固めてしまうことになる。この時にとても残念なのは、どんな状況でも、どんな人でもできるようにつくるからですが、学び手を舐めた過保護なものになってしまうこと。90%レールを敷いた上を歩かせて、オプションで想定内の範囲なら自由を許します。みたいなやつです。 何が出てくるか、あるいは出てこないかもしれないようなものを 「デザインしました」「教育しました」 というのはとてもリスキーで勇気がいることです。
ワークショップも予定調和的にちゃんちゃんと進行できるようにつくっておけば、ライブショーのように安心して見ていられるからですね。
でもね、きっとそういう過保護なキットで企画ごっこしてるうちは、できたような気になっているだけで、無から何かを生み出していく企画力や創造性って育っていないと思うのです。 教育の中でそれをやらずに、いきなり失敗が許されない社会でそういうレシピのない局面に立たされたら、どうなんでしょう。
実際の社会には明確な目的なんてないし、どんな状況でも通用する定型の方法なんてないことの方が圧倒的に多い。混沌とした状況から、そこに問いをたてて、自分たちで積み上げな…

アクティブトランジション体験会!?

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アクティブトランジション体験会!?

学生から社会人への移行を支援するために企業・大学ができることとは?
〜内定者の育成と大学時代の過ごし方について考える〜

日時:2016年7月13日(水曜日)午後7時から午後9時まで
場所:株式会社内田洋行 東京ユビキタス協創広場 CANVAS 2F
参加費:3000円(軽食+フリードリンク+カードdeトークカード)
定員:100名
主催:書籍『アクティブトランジション』制作チーム
 舘野 泰一 (立教大学)
 中原 淳 (東京大学)
 木村 充 浜屋 祐子 吉村 春美 高崎 美佐 田中 聡 保田 江美
 井上佐保子、三宅由莉、いわた花奈

共催:内田洋行教育総合研究所
協力:株式会社 三省堂

応募は以下のサイトからお申し込みください
https://goo.gl/2u5JzD

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「つづけること」のデザイン

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週末は中秋の名月。
季節はかならず巡ってきますね。
こうして否が応でも巡ってくる季節を前に、ふと思うのは、

「はじめる」ことより「つづける」「つづく」ことすごさ。

気持ちの赴くまま、あれこれやってきて、はたと気づけば、つづけけているような、つづけていないような…。

新しいことをはじめるのはパワーがいるものの、新しいものには、まだ見えない可能性があってワクワクしてしまう。だから普段はのんびりな私もこういう時には猛烈にパワーが出たりするんです。
ただしかし、こうして生まれたものを「つづける」ということに、いまひとつモチベーションが上がらないのは私だけでしょうか?

教育の世界では「継続は力なり」と言うのをよく耳にしますが、デザインの世界では、案外「つづける」ということよりも、「新規性」「即効性」に目がいきがちです。「何か今までに見たことのないようなもの」だったり、「即、問題解決してくれるもの」だったり。

「つづける」ことは、「成長」や「成熟」を待つことであって、その人やモノや事柄が「育つこと」に喜びを見出すこと。
「育てる」というキーワードをデザインにあてはめてみると、案外その視点が抜け落ちていることに気づきます。デザインは産みの苦しみの末、産むのだけれど、産んだ後はほったらかし。というケースがほとんどだったりします。
産み出したものを、どう継続して育てていくか。また自分が育てるだけでなく、社会の中で育ててもらうという大らかさが「つづける」秘訣かもしれません。

と、口で言うのは容易いのですが、、、
「つづけること」のデザイン。
これが、本当に難しい。

先日、記念日デザイナーの松村カヨさんと10月に甲南女子の大学院卒業生の会で二人で話をするにあたって、「記念日」と「ワークショップ」に抱くイメージを分解してみました。この分解の詳細はすっごく面白かったので、また追々書きたいと思いますが、ここで気づいたのは、
「記念日」は、多くのものが1年に一度、その日やその季節が「巡ってくる」「巡ってきてしまう」のに対して、「ワークショップ」は多くの場合が単発である。(これはあくまでも私たちの中のイメージなので、そうじゃない人もいるかもしれません)

この分類が正しいかどうかは別として、アッとなったのは「巡ってくる…」という言葉。
自分からアクションを起こさなくても、否が応でもその季節、その日…

問いを問う

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禅問答かっ。笑

来週、京都大学のサマーデザインスクールで塩瀬先生と安斎氏が行っているプログラム「問いで教科書を捨てる」に、「深い問いの実践者」?としてゲスト参加します。
「深い問いの実践者ってどーゆーこと???」なんとも気になるお題をいただきました。
全くもってよい問いをなげかけられたので、un labo.のメンバーとこの問いについて少し話してみました。

http://www.design.kyoto-u.ac.jp/sds2015/theme28.html

よくデザインとアートを比較して、デザインは問いを解決すること、アートは問いを出すことだと言われます。便宜上どちらよりなのかということで分けているのだと思うのですが、どーもいつもこの分類にひっかかるのです。

何にひっかかるのかというと、デザインはあたかもそこにある「問い」をどう解決するかというところからスタートするように聞こえるからです。まるで、ドアノブがつぶれている(問題)から修理する(解決)人のように捉えられなくもない。(ドアノブ修理してくれる人を心から尊敬しますが…)

実際のデザインのお仕事では、どこに「問い」があるのか分からないことの方が圧倒的に多いのに。デザインはまず「問い」の発掘作業からスタートすると言ってもいいと思います。何が問題なのか、その所在をデータからではなく、自分の嗅覚を研ぎすませて探ること、もうこれがデザインお仕事の根幹と言ってもいい。


問いは、常に「状況」の中にある。どういう状況で、だれがその質問をどういう意図でするのか、によってそれに対して考えるスイッチが入るかどうかが決まります。
デザインで最初にクライアントから依頼を受けた時、まず行うのがヒアリングですが、この時に「問い」の発掘作業がはじまります。決してクライアントの多くが「よい問い」を出してくれるかというと、そうではありません。むしろデザイナーの仕事として、クライントに対して「よい問い」を出すことで、問題の所在を探っていくというプロセスをふみます。

では、そのよい問いとは何だ???と考えてみました。
自分の経験から言うと、マニュアルや決まりや法則があって質問をしているのではなく、ごくごく直感に従って「気になる」部分を聞いていく。ただそれだけです。

「気になる」というところに必ず「問い」の欠片が落ちているのかもしれません。
この商品…

見立て遊びのデザイン思考 

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文化は共想の中から生まれる今までにないような新しい発想でイノベーションを起こすスーパークリエイティブな人材。多くの人はスティーブジョブズのようなカリスマ性のある人を思い浮かべてしまうのではないでしょうか。
けれども私は、そもそも一人の頭の中だけで行うクリエイションには限界があると思っています。そして一人で考えたものは例外をのぞいて、多くは市場で受け入れられないのではないかと考えています。
なぜなら、新しいものがスタンダートになっていく時には必ず、使い手と共に一つの文化の共創が行われるからです。今までにないような因子が社会に放り込まれた時に、多くのアイデアは理解されず、消滅していくことの方が圧倒的に多いはずです。 では、今まで見たことのないようなアイデアが、市場で理解され共感され、育っていくにはどうすればよいのでしょうか。


見立て遊びに興じる 日本には、石を動物や自然の様に置き換えた石庭や、詫び茶の設えに、竹筒を花器として用いる「見立て」を楽しむ文化があります。「見立て」は子どもがごっこ遊びに興じるように、ある世界観の約束事を共有して、主客が同じテンションでその場をつくるために演じるという一種の「遊び」です。

先日、9月5日(土)(株)ウィルソンラーニング ワールドワイドの本社会議室をおかりして、un labo.が主催するun schoolの「見立て遊びのデザイン思考」のワークを行いました。主客が一つの約束事を介して一つの世界観を形成していく「見立て遊び」の手法を用いたアイデア発想を行いました。

ワークでは、一見、コースターとは何の関連性も持たないような雑多なものがテーブルに並べられました。紐やおもちゃ、うちわや辞書など。そこに置かれたモノの上に頭で思考するよりも先に手や身体を動かしはじめます。意図せず、そこに顕れる風景や現象に最大限に感覚を研ぎすませます。


何かに見立てるとは、 何かに見えてくるということ。 何かが、そこに見えてくるということ。
何かに「見立る」というのは、多くの思考の余地を残したプロトタイプをつくることと同じ。そこから、いろんな人たちの意見が飛び交い、一つの方向性が見えてくるのです。



見立て遊びのデザイン思考のワークでは、 「思考する前にまず動く」 「目の前の事象に感覚を研ぎすませる」 「遊びの中から着想していく」 ことを通して、何かを誰かと一緒に生み出していく、育てていく…

思考のテンポ

一緒に仕事したい人、一緒に仕事すると何かが生まれる人っていますよね。
それって何なのかなと思うと、どうも考えるテンポ(思考の速度)が近い人のような気がします。
頭がいいとか、趣味があうとか、そういう問題ではなくて、ただ単にスピードが同じということ。

打ち合せをしている時にあっという間に考えをまとめてしまって結論を出してしまう人がいますよね。
これはもしかすると、思考の速度があっていないのかもしれません。
話が目の前を流れていって、「あーーーそこ、気になるんだけど〜」と考えている間に次の話題へ。そのうち思考が停止するのです。笑 

アイデア会議をする時に、ハッカソンのようなマラソンのようなスピードでアイデアを出していく場、またゆっくりとリラックスしながら横道にそれながら、散歩のようにアイデアを出していく場。どちらがよいというわけではなく、どちらもその場に一定のテンポが流れていて、参加する人たちが同じその場のテンポで思考します。

先日、ベベチオの早瀬さんが、唄をつくる時にその曲のテンポを歩く速度なのか走る速度なのかを、実際にその場をウロウロ歩いて曲をつくるのだと言っていたのを思い出しました。テンポがそろっていれば、意外におもしろいアレンジになったり、奇麗なハーモニーになったりする。
何か一緒に会議をする時にも、考えるテンポがあっていれば、アイデアとアイデアがうまく科学反応を起こす可能性が高まる気がします。

つまり、そもそも考えるテンポがあう人というのは理想的ですが、案外その場が醸し出す雰囲気にテンポがあって、そのテンポに人は自然とあわせていくように思ったりもします。会議をデザインするときに、この場の持つテンポというのを意識すると、うまくいくのかもしれません。